暑い。今年は空梅雨か…。ネギが伸びなくて困るね。 (Instagramで撮影)
宮城県気仙沼市で神戸大学や横浜市立大学の学生らによる、模型を使った街作りの研究が行われている。学生らが既存の地図や衛星写真を使って復元した縮尺500分の1のサイズの2m四方の模型に、被災者たちが自宅や商店、工場などの情報を書き込んでいった。今後は模型を色分けして住民と「街の記憶」を話し合いながら、これからの街作りの参考資料を作っていくという =20日、宮城県気仙沼市(早坂洋祐撮影)
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秋田県三種町八竜の男性(90歳) (via plasticdreams) 2007-12-19 (via gkojax-text) (via mcsgsym) (via tataraseitetsu) (via medico) (via nemoi) |
まず最初になぜ、フランスがこんなにまで国を挙げて三陸かきを応援してくれるのかについて説明したい。
フランスにとってカキは、国民食といってもいいほど重要な食材なのである。
ほとんどの場合、殻つきで生で食べる。
あまり生食文化のないフランスであるが、カキだけは例外。
その理由は、古代ローマ時代にまでさかのぼる。
兵士の食糧として、沿岸部でカキの養殖を行いながら進軍し、英気を養った。
そのため、いまでもカキだけはそのまま生で食べる習慣があるのだといわれている。
そして、さらにはフランス人にとってクリスマスのご馳走といえば、誰しもが七面鳥よりもカキと答える。
とにかく国民すべてがカキを愛しているのである。
そんなフランスにおいて、1970年代にカキに病気が蔓延し、壊滅的な被害が発生した。
その際に、日本から宮城種(マガキ)が提供され、その宮城種は、病気をものともせず成長し、危機を救ったのである。
現在では、フランスの市場に流通しているカキの90%が、この宮城種の子孫となった。
(宮城種が入ってくるまでは、ヨーロッパヒラガキ(ブラン種)など薄いカキが中心だった。)
このため、フランスのカキの関係者はみなこの事実を知っており、
「1970年に日本が助けてくれなかったら、いまのフランスのカキ業界はない。だからできることはなんでもする。」と口ぐちに言ってくれるのだ。
1970年代以降も、フランスおいては、ほぼ10年ごとのペースで、なにかしらの病気が発生し、そのたびに日本は水産庁を通して、フランスに宮城種を提供してきた経緯がある。
そして、現在も2008年ごろから、またフランスにおいて種牡蠣(カキの赤ちゃん)が死滅する病気がではじめ、あらためて宮城種の導入を検討、2011年の3月には、その実験のための第1便(約5000個)が、フランス国立海洋研究所(イフレメール:Ifremer) に提供される予定であった。
そのための事前調査も昨年より行われていた。
が、いざ開始となるそのわずか数日前に、震災がおき、提供は当然のごとく中断、その後も放射能の影響などが危惧され、フランスは別の候補を探さねばならなくなった。
以上の経緯から、宮城種の救援復興を国を挙げて応援してくれているのである。
Japan tsunami pictures: before and after - The Big Picture - Boston.com
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