オデロっていうのは、“兄貴”なんですね。で、兄貴っていってもやってる事は兄貴風を吹かすことだけで、他には特に、なんか、目立ったところがない……。でも、“社会”においては、「“社会”を維持する為に“役割”を演じる」事が大事で、オデロは、まあ、天然なところもありますけど、“弟分”“兄貴分”っていうことに対してかなり自覚的に振る舞っています。で、いまわの際の父との対話から見え隠れする父を越えていくというスタンダードな父性の超克の物語。(あんまり関係ないですが、ウッソはあんまり父子のエピソードがないですね、なんかお互いに接触出来ずに離れていってしまったような。不在の父がそのまま消失するという、他のガンダムシリーズよりも父親がでているのに、特に際立った変化のエピソード【初代のテムレイのええ~いガンダムをだせ!みたいな】もなく淡々としてます)
父性的な価値観の“役割と序列によって成立する世界”を代表するキャラクターとしてオデロは描かれていたのかなと思います。そう考えると他の大人たちが「ウッソ君、お願い!」「ウッソくん、まかせたぞ」と言ってるのに対して、オデロだけが「ウッソだけに任せてられるかよ!!」と言っていたような。まあ、全くの私感ですが。
昨日の【第30回大阪ガンダム学会~第25回Vガンダム研究会~】動画はこちらから見れますが
http://goo.gl/A8nCW
ついに49話50話まで分析研究が進んだきのうVガンダムには続きがあるのではないかという説が飛び出しました。
まず”ウッソのおとんの脱出”これはいかにも続編のための布石チック
さらに最終回直前にして説明されていないことが多すぎる。サイキッカーしかり木星公団しかりリガ・ミリティアしかり
そこでVガンダムには続編が存在すると仮定して考えてみると
続編では地球圏と木星の戦争を描き
ニュータイプに対抗する新たな存在としてサイキッカーを立て
ラスボスとしてウッソのおとんが登場する
オールドタイプ対ニュータイプの戦いを描いてきたガンダムから
ニュータイプ対サイキッカーの戦いへと移行させようとするのはいかにも富野的
ところが次の年、地下鉄サリン事件が発生
時代に敏感すぎた富野はガンダムで宗教戦争や自爆テロや子ども兵士を描きすぎていた
自分の中にオウム的なものを見た富野はこれはまずいと思い、Vガンダムの続編を作ることをやめ
初めてガンダムを別人に託し正反対の明るい作品を作ってくれるように頼んだ
それがGガンダム
しかしGガンダムは注意深く見ると決して明るい作品ではない。むしろ暗い。
峠を越えた日本が後は落ちるだけという予感の中にあってGガンダムやサクラ大戦などの
分かりやすいカタルシス系作品が多く作られたがそれらの元気は空元気であったと気付く
むしろ時代の暗さを逆手にとって成功したのがエヴァ
エヴァはVガンダムのスタッフだった庵野秀明が作った作品である
北朝鮮のいつものおばちゃんアナウンサーにお台場のガンダムの事で大騒ぎして欲しい