May 2011
本件事故を重く見た国鉄は、外部より学識経験者も招聘して「鉄道火災対策技術委員会」を設置、1972年12月の大船工場での定置車両燃焼実験や翌1973年8月の狩勝実験線における走行車両燃焼実験を経て、1974年10月に宮古線(現・三陸鉄道北リアス線) の猿峠トンネルにおいてトンネル内走行中の車両を使用した燃焼実験を世界で初めて実施し、その結果からこれまでの「いかなる場合でも直ちに停車する」より も「トンネル内火災時には停止せず、火災車両の貫通扉・窓・通風器をすべて閉じた上でそのまま走行し、トンネルを脱出する」ほうが安全であることが証明さ れたため、運転規程を改めた。トンネル内のほか、橋梁上や高架橋上でも停止しないことになった(青函トンネルのような例外はあるが、火災などの非常時は避難が可能な定点(竜飛海底駅・吉岡海底駅)に停車するように決められている)。あわせて北陸トンネルのような長大トンネルであっても、トンネルを脱出するまで延焼を食い止められるよう、上述のような難燃化工事が進められていった。
教訓が活かされた例として、1988年3月30日、気動車(サロンエクスプレスアルカディア)が越後中里駅-岩原スキー場前駅間で火災を起こした際、トンネルの多い長い区間だったためトンネルを出て緊急停止した事例などがある。
「きたぐに」事故の前の1969年にも北陸トンネル内を通過中の寝台特急「日本海」で列車火災が 発生したが、この時は列車乗務員が機転を利かせて当時の規程を無視して列車をトンネルから脱出させ、速やかな消火作業を可能とした。このため死傷者を生じ させなかったが、国鉄上層部はこれを「規程違反」として乗務員を処分し、運転マニュアルの見直しを行っていなかった。そのため事故列車は、長大トンネルの 中間で規程どおりに停止せざるを得ず、結果として大惨事を惹起した。
多数の犠牲者を発生させた結果責任として、機関士と専務車掌の2人が業務上過失致死傷罪で起訴された。トンネル内で列車を停止したのが被害を大きくしたなどといった理由により長期裁判となって争われたが、1980年11月25日に金沢地方裁判所で 下された判決では、事故当時乗務員のとった行為は「規程を遵守し最善を尽くした」とされ、また車両の切り離し作業におけるブレーキ管のホースの切り離し 等、機関士にとって不慣れな作業による遅れは「許される範囲」として2人とも無罪が確定した。しかし、前述の寝台特急日本海火災事故後も、運転マニュアル を改訂せず放置した国鉄幹部の責任が追及されることはなかった。なお本事故後、先述の「日本海」の乗務員に対する処分は撤回されている。
” —北陸トンネル火災事故 - Wikipedia (via petapeta)そのサインの言葉は「想像力を失えば、思想の自由も無意味となる」であった。” —Amazon: 星新一 一〇〇一話をつくった人: 最相 葉月 (via kogumarecord)
hell:
「いちばんはかないことはなんだ」
「不当に所有することよ」
「世界を識るものは誰だ」
「自分自身を識るものよ」
「永遠の秘密は何か」
「愛よ」ー ノヴァーリス「青い花」